著者からの警告

この投稿は食事中および食後30分以内は読まないでください。また,かなりの長文ですので,忙しい方は後でお読みください。いつも通り,なんの内容も意味もありません。“こっちは忙しいのに,どうしてこんなもん読ませたんだ!”の類の苦情は,当方ではなく各地の消費者センターまで。

本文

 さて,今回の店は新宿サザンタワーの中にある“トラットリア・パパ・ミラ
ノ”です。お読みになればわかるように,あまりにも酷いので,実名を挙げて
糾弾します。てゆーか,金返せ,この野郎!

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 私の小さい頃,イタリアと言うと,ピザ(ピッツァではない!),ミートソ
ース,ナポリタンで,どれも私は大嫌いだった。子供心に,なんでイタリア人
はこんな不味い物を食べるのか,理解に苦しんだものである。

 先ずピザだ。私は昔からチーズ(ただしナチュラルチーズ)は大好きだった
のだが,どうしておいしいチーズを,あんな小麦臭く,あんなべとべとの生地
に乗せるのか,不思議でならなかった。野暮ったくぐったりで,水っぽくべっ
たりの,分厚い生焼け生地だ。テーブルの端において15分くらい放っておく
と,ダリの時計のようになるシュールな生地だ。仕方がないから上のチーズだ
け食べて,パイ生地はゴミ箱に捨てたものであった。

 この生地の上に,ピーマンの腐ったような匂いがする赤色流動体がべっとり
とかかっている。ここに,解凍とともに爽やかな腐敗臭を撒き散らすシーフー
ドミックスがあればシーフードピザだ。その他に,パリパリ,サクサク,クリ
スピーな歯ごたえが楽しめるきのこピザ,するめのような噛みごたえに,思わ
ず頬も緩むサラミピザ……。あと,缶詰めのミョウバン臭いトウモロコシ水煮
が乗ってるミックスピザってのもあったな。

 大人になってから,ぱりぱりでさくさくで中はしっとりのイタリア流生地で
出来た,本物のピッツァを食べて,ピッツァとは実は美味しいものだというこ
とを知って地団駄を踏んだ。私は人生を無駄に過ごしていた。私はピッツァの
ない虚しい人生を送ってきたのだ[*1]。

[*1]どうやらあの分厚く野暮ったい生地は,アメリカで
“発明”されたものらしい。もっとも,日本に入って来
てから,更に一層,“改良”されたのだろう。

 ミートソースに至っては,給食のソフト麺の印象が悪すぎた。半透明の袋に
入っているのだが,あれは食品を入れる袋ではない。どう考えても,おしぼり
を入れる袋だ。その袋を,思い切り叩いて破ると,硫黄のような重曹のよう
な,なんとも言えない不快な臭気が漂ってくる。給食の時は生徒たちがみな一
斉にこれをやるから,教室の中がアウシュビッツのガス室になる。

 これは余談だが,給食のソフト麺が出てきた時,時間が経ってものびない魔
法の麺というふれこみだったが,小学生は,その秘密を一目で,いや一口で看
破,いや食破したものだ。──最初からのび切ってるのだから,これ以上のび
ようがないことを。

 その上に乗っているのが,甘ったるく締まりがない“み〜とそ〜す”であ
る。トマトジュースを煮つめて,コーンスターチでとろみをつけ,砂糖と味の
素を入れれば,あんな味になるのではないか。その上,なんと豚肉の挽き肉が
入っていた。断っておくが,豚の挽肉は美味しいものである。だが,トマトに
対抗する味の濃さもち,またトマトに肉汁の旨みを十分に加えるには,成牛の
挽肉でなければならないのだ。それで初めて,こくに満ち,喜びに溢れたボロ
ーニャ風ソースが生まれるのだ[*1]。

[*1]トスカーナには猪の挽肉のミートソースがあるよう
だ。豚と猪は親戚であるが,猪はやはり野禽だけあって
味が濃い(これは猪を飼育する場合も同じである)。だ
からこれはこれでトマトに対抗することができるのであ
ろう。

 “なぽりたんすぱげってぃ”は喫茶店で食べた記憶があるが,およそ人間の
食べ物と言える代物ではなかった。“すぱげってぃ”とかという澱粉・グルテ
ン凝固物に,そ〜せ〜じ(なんか真っ赤っ赤です),玉葱,ピーマン,水煮の
まっしゅる〜む(これがまた臭い)を,たっぷりのケチャップで絡めたもので
あった。一日にケチャップを一本は空けずにはいられないようなケチャップ好
きには,たまらない味だったに違いない。

 具に輪をかけて,パスタは常軌を逸していた。得体の知れない小麦粉を原料
とする,すっかりのびきった細長い物体でしかなかった。これは“ソフト麺”
ではなく“すぱげってぃ”と名乗っているから,その分だけ罪は大きい。た
だ,ケチャップの味があまりにもきつく,その味しかしなかったのは不幸中の
幸いであった。

 私は昔から蕎麦が好きだったので,こんな洗練されていない麺を食べるイタ
リア人を心から軽蔑したものである。要するにイタリア人は味覚音痴の集まり
なのだ──と納得するしかなかった。劣等民族だと思い込んでいた。

 後年,ブイトーニの乾麺を普通の小売店で手に入れることができるようにな
って[*1],私は根本的に自己批判を迫られた。あのまま偽物スパゲッティを食
べ続けていたら,私は本物の右翼になっていたことであろう。資本の文明化作
用によって,私の右翼性は厳しい批判に曝されたのである。私は一皿のペペロ
ンチーニとともに,己れの右翼的なるものを喰らい尽くしたのであった。

[*1]現在でこそ,イタリアからいろいろな乾麺が輸入さ
れ,またデパートの総菜屋では生パスタが売られるよう
になったが,最初は本物のデュラム・セモリナで作られ
たパスタと言ったら,ブイトーニしかなかった。フォシ
ョンのパンと同様,ブイトーニのパスタも今食べてみる
ととりたてて旨いわけではない大量生産品だが,最初に
食べた時は驚きだった。

 周知のように,イタリアでは,小麦粉としてデュラ
ム・セモリナ100%を使っていなければ,パスタと呼ぶこ
とが法律的に禁止されている。違法パスタをわれわれは
食べさせられてきたわけだ。ブイトーニのおかげで戦争
が回避されたと言っても過言ではあるまい。

 もちろん,デュラム小麦よりもパスタに向いた小麦の
開発は科学の使命であり,この可能性を否定してはなら
ない。いつかは,デュラムセモリナ100%のパスタとは比
べものにならないくらいに旨いパスタを食べることがで
きるようになる日が,きっと来るに違いない。だが,今
日までのところ,デュラム小麦を越える小麦はまだ開発
されていないのである。

 このように,イタリア料理に対する私の評価は,根本的な変化を経験した。
私のこの個人的な経験を,日本人全体も社会的に経験している。そして,ひと
たびピッツァ,パスタの本物が普及すると,ピッツァ,パスタ以外のイタリア
料理の紹介にまで行き着く。

 バブル崩壊以後の不況はイタリア料理の普及を大いに後押しした。大体にお
いて,イタリア料理店の価格設定は,同ランクのフランス料理店よりもかなり
低額に押さえられており,消費者の側もこれを社会通念として受容している。
とことん手を抜いて原価を下げても,一見するとイタリア料理によく似た,実
は紛い物を製造することができるわけだ。

 こんなわけで,東京ではここ二十年くらいの間に,「イタリア料理」を名乗
る店が乱立している状況だ。新規店舗の伸び率はハンバーガー屋,ラーメン屋
に引けを取らないほどだし,それまでピザ屋,スパゲッティ屋だった店もどん
どん「リストランテ」とか「トラットリア」とかに改名している。

 それとともに一方では,イタリア料理がパスタとピッツァだけだという偏見
は完全に払拭された。しかしまた他方では,とても人間の食べ物ではないよう
な粗悪品を提供する店も増えていく。イタリア料理の繁栄の今こそが,その真
の危機の時代である。

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 今から三年ほど前に,私が住んでるご近所にサザンタワーという高層ビルが
できた。その二階にトラットリア・パパ・ミラノというイタリア料理屋が入っ
ている。以前から行こうかと思っていたのだが,まだその機会に恵まれていな
かった。ようやくその機会を見付け,1,500円のランチと500円のグラスワイン
をいただくことにした。

 特に西洋料理については,その店に初めて行く場合,ランチを食べ,ハウス
ワインをグラスで頼むのが原則だ。ランチがまずい店は例外なくディナーも悪
い。ハウスワインがまずい店は例外なくロクなワインがない(保存状態が悪か
ったり,価格が高すぎたりするのも含む)。もっとも,ランチが値段の割には
旨いからと言ってディナーが旨いとは限らないし,ハウスワインが値段の割に
は旨いからと言って他のワインが旨いとは限らないが……。とにかく,夜に予
約して行き,二度と立ち直れないくらいにやられてボロぞうきんのように夜の
街に放り出されるのに比べれば,昼にやられた方がまだ,心も財布も被害が少
なくて済む。

 メニューを見る。困ったことだ,前菜と言ってもパスタしか選択肢がない。
しかも鮭とか菠薐草とか,およそ季節感のないものばかりだ(今は真夏)。仕
方がないから,ペンネ・アラビアータを頼むことにした。問題は主菜だ。

 私は基本的に,このような前菜一品,主菜一品のプリフィクスのムニューで
は,主菜に魚料理を頼まない。旨かったためしがないからである。だがこの日
のムニューには,肉一品,魚一品しか選択肢がなく,肉は鶏肉のオーブン焼
き トマトソースであった。こういうところで鶏肉料理を頼むのは非常に危険
だ。変な臭い鶏肉が出てくる可能性が高いからだ。

「この本日の魚料理というのはなんなの」

「白身魚のポアレです」

 白身魚という魚か。珍しい魚もいるものだ。皆さんもご存じなかったであろ
う。是非とも魚類事典を調べていただきたい。サ行の部にあるはずだ。

 ポアレがフランス語なのは愛敬としても,「白身魚」というのがどういう魚
なのか,よっぽどもうちょっと詳しく説明してもらおうかと思ったが,厨房と
客席との間を行ったり来たりする給仕の姿を思い浮かべ,黙ってこれを頼むこ
とにした。

 私の拙い経験からして,こういう店は例外なくペケである。私の小さな胸は
不安から激しく鼓動している。私は恐怖のあまり,この場で黙って店を出よう
かと思った。だが逃げてはいけない。大人になるということはこの恐怖を克服
することである。ボク,もう夜だって一人でトイレに行けるよ!

 白のグラスワインを飲んで待っていると,ペンネ・アラビアータがやって来
た。ご承知のように,ペンネというのはペン先の形をした穴開きの短いパスタ
のことであり,アラビアータソースというのは要するに唐辛子がたっぷりと入
った濃い目のポモドーロ(=トマト)ソースのことである。

 この店の工夫が感じられる独創的なペンネだ。ペンネを茹でると穴に水が溜
まる。普通はこの水分をよく切ってから,ペンネをソースに和えたり,あるい
はオーブンで焼いたりするのだが,この店は意図的に,わざと,故意に茹で汁
を切らず,アラビアータソースと和えてある。

 なんとなれば,パスタを茹でた汁は蕎麦湯状態になっており,それ自体美味
しいものだからだ。従ってまたペンネ・アラビアータで一番旨いのも,なんと
言ってもペンネの茹で汁であって,パスタそれ自体でもなければソースでもな
いのだ。パスタ用のソースを乳化させる際にパスタの茹で汁がよく使われるの
は,皆さんご存じの通りである。これほど左様に美味しいパスタの茹で汁を,
客に思う存分,味わってもらおうというのであろう。

 しつこいようだが,ソースを乳化させ,これを通じてパスタに絡みやすくす
るために茹で汁を加えるというのでは断じてない。そもそもペンネの中にたっ
ぷりの茹で汁が,ソースと決して混じることなく自己を主張しているのであ
る。ソースと混じってしまっては,茹で汁の純な味わいが濁り俗っぽくなって
しまう。これほど優れた茹で汁を純粋に味わうために,考えに考え抜かれた技
法なのだ。

 私もこの直球勝負,豪速球のペンネ・アラビアータに真っ正面から向かい合
った。ペンネを噛むごとに,ビチャ,ベチャ,ピチャという快い音が脳下垂体
から頭頂に向かって駆け昇る。

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 さて,ここで私の秘密を白日の下に曝け出さねばなるまい。私が蛙好きなの
は皆さんご存じであろう。──あれは一年前の或る雨の日だった。私が水元公
園を散歩していると,一匹の蛙が,詩情あふれる瞳でこちらを見上げていた。

 私はこの蛙があまりにかわいらしく,あまりにいとおしかったから,食べて
しまった。気が付いたら,それを丸のみしていたのだ。グルヌイユ(食用蛙)
とは違って,ほんのちょっぴり,草花の味がした。

 ところが不思議なこともあるものだ,この蛙は私の胃袋の中で,私が食べた
もののおこぼれを頂戴しながら,依然として生き続けている。ピョン吉のよう
なものだ。寄生虫と言うのはやめていただきたい。同居人と呼んでいただきた
い。

 この蛙,なかなかグルメなヤツで,私が美味しいものを食べると歓喜の鳴き
声を,不味いものを食べると不平の鳴き声を上げる。爾来,私の美食判定器と
して活躍しているのだ。

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 いよいよやって来た。本日の魚料理だ。オリーブの実,ズッキーニ,トマト
ソース,バルサミコ酢がちりばめられた上に,「白身魚」のポアレが乗ってい
た。「白身魚」という魚は鱸(スズキ)によく似ていた。

 三枚に下ろしてカマ近くを半筒に切ってある。サク取りされていない(但し
血合い骨は抜かれている)から,上身と腹身の両方を味わえる。

 先ずは香りを嗅いでみる。なんとも磯臭く,生臭く,石油臭い。間違いな
い,これは,遠くイタリアはサルモネラ地方の伝統的な郷土料理であろう。こ
の料理の特色は,サルモネラ菌と呼ばれる有用な菌を利用して,一種の発酵作
用を素材に施すことにある。

 特に発酵食品の場合には,食べ慣れていない者には独特の風味が躓きの石に
なる。最初の一歩さえ踏み出せば,先入観とともに,己れ一人の閉ざされた世
界を囲む壁も消え去り,共通理解の地平が突如として眼前に広がるというの
に……。私は偏見に囚われ,この皿を放り投げようかと思った。だが逃げては
いけない。大人になるということはこの偏見を放棄することである。ボク,も
うオムツなんか はかないよ!

 次に上身を一口食べてみる。やはり私のようなイタリア料理初心者にはやや
本格的すぎるようだ。だが上身だけは,鼻で呼吸するのを停止して,オリーブ
の実と一緒になんとか一口は呑み込んだ。十分な発酵作用を経たので,肉は蕩
けるように柔らかい。

 今度は皮である。例えばウォッシュタイプのチーズを考えてみて欲しい。こ
の種のチーズには独特な香りがあるが,それは主として皮に集中している。同
じ発酵食品として当然のことであるが,この料理もやはり,皮の香りは極めて
豊饒だ。皮の表面がパリパリとしたクリスピーな噛みごたえを有しながらも,
皮の裏面は,十分に菌が繁殖したゼリーと,十分に酸素を吸収した脂肪との幸
福なマリアージュを体現している。

 極めつけがガンバラ裏だ。あまりにも鮮烈で,あまりにも爽快な腐敗臭を放
っている。それは熱で活性化し,辺り四方に香りの笑顔を振りまく。血も神経
も抜いていない鱸を,エラ付き,ワタ付きのまま長時間,35度程度で熟成させ
ないと,このようなかそけき香りは燻し出されないはずだ。

 だがここまで来ると,もはや厨房での発酵作用だけではない。素材が素晴ら
しすぎるのだ。鯖の生き腐れとは言うが,鱸も最高のものは生きたまま発酵す
るのだ。

 ピョン吉が驚きのあまり鳴き出した。世界の海には生きたまま発酵する鱸が
いるのを,ピョン吉は知らなかったようだ。胃の中の蛙,大海を知らず。
ハァ〜,イヨォ〜。

 感動のあまり,目から涙が泉のように溢れ出てくる。私は直ちに口元を押さ
えながらレジに向かった。体の奥底から湧き上がってくるこの熱いものを,も
う押さえることはできない!

 急がねばならぬ。私の歩みは自然と小走りになった。頬の奥,耳の近くから
じわっと唾液が湧いてくる。胃壁が激しく蠕動し,弱塩酸を放出する。ピョン
吉が歓喜と法悦の混じった声を上げて鳴いている。私は身悶えしながら一句詠
んだ。

腹の中
    かわず鳴く声
        ゲロゲーロ

季語はゲロゲーロ(夏)である。