表題: | [ism-topics.408] Gourmet of Class-C (No.17: Cheese) |
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投稿者氏名: | 今井 祐之 |
投稿日時: | 2001/03/09 04:38:37 |
ジャンル: | 連載記事(C級グルメ) |
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ISM研究会の皆さん,今井です。例によって例のごとく,オチなしです。つ まんないっす。 ************************************************** それにしても,凄かった。日曜日の飲み会が,である。東京ヘーゲル研の後 でやった飲み会のことである。 何も私は,ワインを飲んでいるところに,いきなり牛鍋が出てきたことを怒 っているのではない。あんなものは食わなければいいだけだ。実際,私は一口 も食べなかった。 問題は,その後に出てきたチーズである。あれは久々のヒットだ。いや,二 塁打だ。いやいや,ホームランだ。 なんと言っても,ワインにはチーズが合う。牛鍋は食べなければいいのだ が,ワインを飲みながらチーズを食べない手はあるまい。幸いにも,青カビ, 白カビ,ハード,フレッシュと,どれもこれも期待を裏切らぬものであった。 以前に教育テレビのETV特集で,ベルナール=ロアゾーが地元ブルゴーニュ のガキどもにいろいろな美味しいものを食べさせて,美食教育を施すのとも に,マクドナルドを糾弾するという愛国的反米教育番組をやっていた。その番 組の中で,ロアゾーの店(ラ・コート・ドール)にフロマージュ(チーズ)を 卸している女主人──この人はパリ革命の挫折の後に農村回帰した,都市出身 のインテリなのだ──が,“バクテリアを殺してはなりません”と何度も強調 していた。 “あれ? どこかで読んだな”と思って,ロアゾーの半生伝,『星に憑かれ た男』(ウィリアム・エチクソン著,小林千枝子訳,青山出版社)を開けてみ たところ,やはりアメリカ人が食べる無菌チーズが激しく糾弾されている。無 菌チーズ蔑視,バクテリア讃美が,ロアゾーの美食追求の一貫した姿勢なのだ ろう。 つまりは,そもそも本物のチーズというものは,バクテリアの集合体であっ て,それ自体,一つの生命体と見做されるべきなのである。魂魄あるものと見 做されるべきなのである。チーズは,それ自身の生命活動を続けてこそ初めて チーズ足りうるのだ。 さて,チーズはかくのごとく生きているのだから,天敵である人間に食べら れる危険に及ぶと,命あるものとして当然の反応を示す。この点では,私たち 人間も犬畜生もチーズも,生けとし生けるものとして,何一つ変わるところが ないのである。 一つは,冷や汗をかくことだ。これはわれわれもよく経験があることだろ う。ゾッとするというやつだ。このチーズも,体の中からあらん限りの水分を 放出し,恐怖というものがなんであるのか,全身で物語っていた。 一つは,顔色が変わることだ。これまた,われわれもよく経験があることだ ろう。顔が青ざめるというやつだ。このように,クリティカルな状況下で肉体 の或る部分の色彩が変わるというのは,人間はもちろんのこと,どの動物にも 見られることだ。このチーズも,白カビ・青カビのタイプは黄色く,またハー ドタイプは赤茶色に変色して,他の生命体に食される己れの不幸を呪ってい た。これは最早,マリー=アントワネット,一夜にして白髪と変わりたるに匹 敵するのではあるまいか。 一つは,金縛りにあうことだ。蛇に睨まれた蛙のごとく,また人外のものに 人が出くわした時のごとく,もう体がすくんでどうにも動かなくなってしまう のだ。このチーズも,パサパサ,バサバサ,ゴワゴワ,ガサガサと,身体中の 関節が骨になってしまったかのようにこわばっていた。 最後の一つは,分泌物の生成だ。例えば,外敵に襲われた蟇蛙は毒液を分泌 する。全く同様に,人間に襲われたこのチーズは酸を分泌するのだ。あるいは また,例えば,河豚はテトロドトキシンを生まれながらに持っているのではな く,外界から毒素を摂取し,蓄積していく。全く同様に,このチーズは生まれ ながらに酸っぱいのではなく,外界から酸素を摂取し,酸っぱくなっていくの だ。 ことほど左様に,このチーズは生命の神秘を開陳し,これによって自己の深 遠なる生命性を証明した。この回り道を通ってまた,それは無菌チーズとは全 く異なる美味しいチーズだということを主張したのである。 食べねばなるまい。私が,食べねばなるまい。──食べた。私が,食べた。 次から次へと,止まる間もなく。もうこの先,これほどのチーズに巡り合うこ とはないであろう。