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ISM研究会の皆さん,今井です。これはたった今,行ってきた講義の報告で
す。
先週は大枠について攻めたところで,いよいよ今日は細かいところの説明で
す。こんなこといつまでやってんだと思われるかもしれませんが,まぁ,細か
いところは細かいところなりに重要です。一応,“物象的な社会では便利は危
険”てな視角で。
客観的な関係としての信用は,不自由な人格が与え合う信頼を乗り越えて,
自由な諸人格が編み上げる客観的な社会性を受け取る(つまり受信者が与信者
になり,その与信者が受信者になるという信用の連鎖を成り立たせる)わけで
すが,このような社会性は社会性の根拠(つまり労働)の遥か彼方にある社会
性,根本的に無自覚的な社会性,つまり結局のところ実は社会性の欠如である
から,その破綻も無自覚的に,社会性が欠如した社会性として,現れるしかあ
りません。社会的には調整可能なもの(と言うか,そもそも社会的にしか調整
され得ない私的損失)が,しかし個人には外面的な,個人の手の届かない社会
的に調整不可能な──つまりその意味では社会的ではない──災難として,し
かしそれでもやはり否応なしに社会的に,個人の身に降りかかってきます。要
するに,信用の連鎖は危険の連鎖というわけです。無責任社会では,責任は暴
力的に負わされるしかないわけです。──ここでは,黒字倒産の問題を取り挙
げました。
その他に,今日は,裏書人の支払担保責任,バクリ手形の善意取得に対する
抗弁不可能性などを取り挙げて,見るからに善良そうな学生を脅し上げておき
ました。“おめーら,他人の不始末をしょい込む覚悟ができてんだろうな。社
会性のないところでの社会性ってのは,結局のところなぁ,そういう社会性な
んだぜ”。
あ,そうそう,岸辺シローの話は白地手形の補充のところでやっておきまし
た。